〔ムソーノヴァ〕有機セイロン・TB 100g(2g×50) 4セット【41521】【キャンセル不可】
○有機肥料のみを使用して作られたセイロンティー
| 質問タイトル | ややこしい(16C~)ヨーロッパの世界各国への進出!!!僕の知識の間違った点を指摘してくだ... |
| 質問 | ややこしい(16C~)ヨーロッパの世界各国への進出!!!僕の知識の間違った点を指摘してください。ビザンツ帝国滅亡あたりからポルトガルをはじめとするヨーロッパの各国が世界へ飛び出しました。その原因は香辛料の魅力と、快速帆船の改良、羅針盤(from中国)、そしてマルコ・ポーロによりもたらされた世界の記述という本によるアジアへの関心です。ポルトガルはアフリカ大陸を南下してアフリカ大陸東岸→紅海→インド洋を航路にしていく航路(後東回り航路)を考案しました。まずポルトガルのエンリケ航海王子の支援の元、ポルトガル船は1445年にアフリカ西岸のヴェルデ岬に到達しました。ここで注意すべきなのがポルトガルの世界への進出が1453年のビザンツ崩壊によりもたらされたわけではなくその前から香辛料を安く手に入れるために行われていたということです。インド商人→ムスリム商人→venetia商人 とたくさん仲介してくるので非常に売値が高い香辛料。だからポルトガルは直接香辛料をほしがったのです。1488年、バルトロメウ・ディアスがアフリカ南端希望峠に到達。しかし仲間の反対でそれ以上進めず。1498年、バルトロメウの無念から10年後、ついにヴァスコ・ダ・ガマがインドの西岸カリカットに到達。ポルトガルはインドとの貿易を始める手始めに16C初頭まで紅海とインド洋に制海権を持ちインドとの香辛料貿易をしていたマムルーク朝の海軍を撃破し(滅ぼしたのはオスマン)紅海とインド洋の制海権を手に入れた。そしてアフリカ東岸、カリカットやゴアをはじめとするインド沿岸などインドへの航路に要塞をしき香辛料貿易の独占につとめた。また現スリランカ、当時セイロン島にも要塞をおきモルッカ諸島にも要塞を置いている。モルッカ諸島は香辛料の特産地なため非常に重要なポイントである。また忘れてはいけないのがマレー半島のマラッカ王国である。モルッカとセイロン島を結ぶ重要な中継点なのでポルトガルはここも征服し要塞をおいた。(1511)またポルトガルは中国へ行き、1517年に広州の港で中国貿易を行っている。1557年には中国のマカオに居住権さえ得ている。ここは後オランダに奪われるのだが。奪われるといえばセイロン島も奪われる。オランダに。また日本との接点もある。しかしこれは香辛料貿易が本格的に始まる前の15C中ごろの出来事だが種子島に火縄銃を伝えている。その後も日本と貿易をつづけた。日本が鎖国するまで。ポルトガルは武力を背景に貿易をした。大砲や銃器など。なにか誤った知識はあるでしょうか? |
| 回答 | <ポルトガルの衰退の原因は、人口の少なさによります。ポルトガルの人口は、100万人程度であり、広大な植民地を維持してゆくには人口が少なすぎ、海外領の拡大とともに、それを支える国内産業の衰退がおこり、植民地の維持ができなくなってしまいます。そのため、そこに大量のスペイン人が参入して、経済的にスペインと一体化してゆきます。さらにスペイン王フェリペ2世が、ポルトガル王を兼務するようになると、完全にスペイン経済に飲み込まれてしまいます。ポルトガルがオランダなどに敗れるのは、スペインの衰退により、ポルトガル自身が完全に植民地を維持する力を失っていたからです。ポルトガルの植民地は、特定の拠点の支配のみで、面の支配は、ブラジル以外ありませんでした。そのため、拠点周辺以外は、交易の独占などできる状態ではありませんでした。 |
| 回答数 | 1 |
| 質問日時 | 2009年02月05日 |
| 解決日時 | 2009年02月05日 |
| 詳細 | http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422884934 |
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